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フルーク (バンド) : ウィキペディア日本語版
フルーク (バンド)

フルーク (Fluke) は、マイク・ブライアントジョン・ファグラー、バンド・マネージャーのジュリアン・ニュージェントによって1980年代に結成されたイングランドのエレクトロニック・ミュージック・グループ。バンドのコンセプトは、当時音楽シーンで急成長していたアシッド・ハウス、特にキャバレー・ヴォルテールジョルジオ・モロダーの作品に影響を受けている。
ハウスから、テクノアンビエントブルースに渡るジャンルの多様性、消極的なメディアへの露出、アルバムとアルバムのリリース間隔の長さが特徴的である。フルークをリスナーの多くが認知するのは、ブロックバスター作品のサウンドトラック(『マトリックス リローデッド』『シン・シティ』が有名)や、『ニード・フォー・スピード アンダーグラウンド』『ワイプアウト』などのコンピュータゲームシリーズのサウンドトラックに収録された楽曲を通してのみである。映画『エクスペリメント』ではフルークの楽曲「YKK」が使用されている。
フルークはこれまでに5作のスタジオ・アルバムと、2作のベスト・アルバム、2作のライブ・アルバムを発表している。これまでに何度かのメンバー・チェンジをしているほか、ギターにニール・ダベンポート、ドラムスにロビン・グッドリッジ、DJにヒュー・ブライダーがクレジット参加している。『リゾット』のツアーでは、バンドの公式マスコットで『ワイプアウト』シリーズのキャラクター「アリアル・テツオ」に扮したレイチェル・スチュワートとステージで共演した。スチュワートは1997年から1999年の間にフルークが発表したライブ・アルバムで、リード女性ボーカル/ダンサーとして参加した。
『リゾット』後、マイク・ターニアーがジャン・バートンとともに新たにシンタックスを結成するためにフルークを脱退。ターニアーの助力なしに最新作アルバムのプロデュースに取りかかったマイク・ブライアントとジョン・ファグラーは、後に2ビット・パイというプロジェクトに参加し、2006年9月4日にデビュー・アルバム『2パイ・アイランド』を発表した。
== 歴史 ==

===『ザ・テクノ・ローズ・オブ・ブライティ』===
フルークの結成以前に、ジョン・ファグラーマイク・ブライアントはそれぞれ「ザ・リーキー・ラジエーターズ」「ザ・レイ・フィガーズ」という2つのパンク・バンドで活動していた。フルークの3人目のメンバーであるマイク・ターニアーは、ジョン・ファグラーと「スキン」でコラボレーションした際にグループに紹介された。アシッド・ハウス・シーンやキャバレー・ヴォルテールジョルジオ・モロダーなどの実験的なエレクトロニック・サウンドに興味を持つなど、すぐに3人の音楽的な嗜好の一致が明らかになった。そして最後にジュリアン・ニュージェントをグループのマネージャーに迎え入れ、フルークが誕生した〔''Six Wheels on My Wagon Inlay Sheet'', ''Fluke are: Mike Bryant, Mike Tournier, Jonathan Fugler, Julian Nugent''.〕。
1988年に発表された最初のシングル「アイランド・ライフ」は、クリア・ブルーの12インチ盤にプレスされたホワイト・レーベル盤であった〔。商業的には成功せず、その後のフルークの作品とは異なる方向性のサウンドであった。その後も1989年に「サンパー!」、1990年にジョニ・ミッチェルの「ビッグ・イエロー・タクシー」をサンプリングした「ジョニ/タクシー」という2作のホワイト・レーベル盤を発表した。注目を集めたこれらの作品により、最初のCDシングル「フィリー」をリリースすることになるクリエイション・レコーズと契約を結ぶことに同年成功した。
翌年、フルークの1作目のアルバム『ザ・テクノ・ローズ・オブ・ブライティ』を発表。続けてシングル「ザ・ベルズ」とライブ・アルバム『アウト (イン・エッセンス)』を発表。『アウト (イン・エッセンス)』の発売に際してクリエイション・レコーズからヴァージン傘下のサーカ・レコードに移籍した〔。これら2作のアルバムの発表の傍ら、様々な異名のもとでフルークとは違った方向性の作品の発表を始める。その最初の作品は1990年にラッキー・モンキーズの名前で発表したインダストリアルのシングル「オール・アボード」である。
録音スタジオを所有すれば最も大きな芸術的な自由を得ることができるとキャリアの早い段階で気づき、建物の購入を決定した。このスタジオは、「多くの人(ミュージシャンや友人)を頼る上で極めて価値のあるものとなった」とジョン・ファグラーは語っている。
EMIは1991年のトーク・トークのリミックス・アルバム『ヒストリー・リヴィジッテッド』のため、トーク・トークとの面識はなかったが、フルークに1986年の「ライフズ・ホワット・ユー・メイク・イット」のリミックスを依頼した。このアルバムは許可無く自分たちの楽曲がリミックスされたものであると主張するトーク・トーク側から抗議を受け、ほどなくして店舗から姿を消した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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